なぜ私は『自分で稼ぐ』ことにこだわるのか

私は自分で稼ぐというところにこだわりがあります。なんででしょうね。

私のキーワードは「自己決定権」。

自分で自分の人生を決めるというのが私の大きな価値観のひとつのようです。

自分の人生を自分で選ぶ・・・

そのためには「自分と、自分の子供を食べさせられるだけの稼ぎをちゃんと自分で得たい」とずっと思ってきました。

目次

雇用機会均等法のちょっと下の世代

雇用機会均等法が定められたのは1985年のこと。施工されたのは翌1986年です。

私が大学を出たのが1991年ですから、均等法が施工されてから5年後ということになります。

均等法が施工されたものの、私の世代はまだ、子供を産んでも働き続けるということは一般的ではない時代でした。

育休明け、ある部長が「子供産んで戻ったやつに仕事なんかやるな」と言っていた、という話も耳に入ってきました。

それを聞いた当時の私の男性上司が一緒に怒り狂ってくれ、気持ち的にはとても救われました(勝山さん、このブログを読む機会はないかもですが、その節は本当に嬉しかったです!)。

そんな中でも私は仕事をやめず、ずっと働いてきました。

そして今は会社を辞め、こうして自分の名前で稼ぐということにこだわっています。

正直に言えば、あえて苦しい選択をしてきたような気もしないでない。

でも、私にはこの生き方しかできなかったのです。

起業を考える中で、私は、何が私の原動力になっているのかずっと考えていました。

自分と家族が食べていけるくらい、ちゃんと稼ぎたい

自分で稼ぐことへのこだわり、それを考えた時に浮かんできたのは、ある夜の両親の夫婦喧嘩でした。

きっかけなど何も覚えていません。

強烈に覚えているのは、父が母に言い放った言葉。

誰に食わせてもらっていると思っているんだ。」

普段おとなしい母が、父に食器を投げつけました。

父は1か月以上、母とは口をききませんでした。

母は東京に憧れ、高卒後に北海道からひとりで上京し、生命保険会社で働くOLでした。

今から何十年も前のこと。

母も相当行動的な女性だったのだと思います。

当時の習慣にのっとって、母は結婚後寿退職(今や死語ですね!)をしました。

母はずっと働きたかったようです。

でも子供が生まれ、父は母に「子供が帰ってきたときに、『おかえり』と迎えるのがあなたの仕事。」と言ったそうです。

それなのに。

「誰に食わせてもらっているんだ。」

何歳の記憶か分かりませんが、この言葉は私を深く傷つけました。

私が大学生だった頃、父が家族の約束を破ったことがあります。

家族で何かを予定していたのに、友人から飲み会の誘いがきて、父はすぐに家族との約束を反故にして出かけることに決めました。

父に「それはおかしい」と言ったところ、

「生意気を言うな。自分で稼ぐようになってから言え。」と言われました。

そうか、人に意見をするためには、自分も稼いでいないといけないのか。

この体験も、「自分自身で稼ぐ」ということにつながっているのだと思います。

父の価値観

いろいろ書きましたが、父もそれなりに苦労し子供たちを可愛がってくれた人です。

(あ、過去形にしましたが、幸いなことにまだ生きてます 笑)

父は父親(私からみたら祖父)を小学校5年生で亡くしました。

祖父は弁護士だったそうで、戦前の弁護士と言えば今とは比べものにならないくらいエリートであり名士だったようです。

お正月は祖父の前に父をはじめ子供たちが座り、挨拶をし、お年玉をもらう。。そんな時代だったようです。

祖父は戦後すぐ、上記にも書きましたが父が小学生の頃に亡くなったので、父はそんな明治・大正風の父親の姿しか知りません。

なので父にとっての父親像は、その当時の父親像のままなのでしょう。

一家の大黒柱として,家長として絶対的な権威を持っている人、それが父の「理想の父親像」なのかもしれません。

小学5年生で父親を亡くして以降、父の家族は極貧の生活を送ったようです。

祖母は父を弁護士にしたかったようで、父は中央大学法学部を目指しました。

大学に通うお金はなく、自分で働いて、夜間に通うコースだったようです。

そんな苦労をした父にとってもまた、お金を稼ぐということは自分の誇りの一部であり、自分が家族を支えているという意識が強かったのだと想像しています。

そんな父にしてみれば「誰に食わせてもらっているんだ」という言葉は自分の存在価値を証明する意味でも必要な言葉だったのかもしれません。

でも。

私にとっては許せないひとことでした。

こうした原体験は、私に「自分の意見を言いたければちゃんと稼がなければならない。」という気持ちをもたらしました。

なぜ起業支援をしているのか

自分で稼ぐことで初めて自分の人生を自分で選べる。

こんな体験を経て、私はこう思って生きてきたようです。(これが正しいか、正しくないかは別として)

そしてこの気もちが、「自分で稼ぎたい女性のビジネス構築を支援する」という今の仕事につながっています。

稼ぐ力があると、人生を選べるのは事実です。

会社でいろいろあったとき、私は「会社から給料を頂く」という働き方しか知らなかったために、退職することができませんでした。

でも「自分の名前で稼げる」のであれば、逆に会社でのゴタゴタなどどうでもよくなって、まだ会社員をしていたかもしれません。

会社にいてもいい、独立してもいい、どちらにしてもちゃんと稼ぐことができる。。そんな環境であれば、自分の人生をしっかりと選び取ることができます。

「稼いでいる人がエライ」とか「稼げない人がダメ」などというつもりは毛頭なく、でも私はやっぱり「お金の自由」も得たいのです。

と言いつつ、父の背中を追いかけていた

会社員時代の私は、仕事をしていることに誇りを持ちつつ、でも月曜の朝が憂鬱になるような日もありました。

今の私にとって仕事をしてお金を頂くということは、一生かけても攻略し尽せないゲームで遊んでいるような感じです。

次はどうやろうか、こうやったらうまくいくかな?と考えながら、いろいろなことを試してみて、うまくいった、いかなかったとジワジワ楽しんでいる感じ。

これはですねー、人が作ったゲームを攻略するよりはるかに楽しいです!🤣

こればかりはやったことのある人にしかわからない感覚かもしれません。

やったことがある人。。と言えば、実は父も55歳で早期退職をして、その後ひとり起業をしていました。

父は映像関係の仕事をしていたのですが、早期退職後、ひとりで会社を立ち上げ、映像の仕事を続けていました。

今思えばですが、父が起業したとき、私は”楽しそうに仕事をする父”をそばで見ていたのです。

父が起業したのが55歳。そして私が起業したのが53歳。

昭和の父の価値観がイヤだった!と言いつつ、私はそれでもやっぱりなぜか父の後を追っているのです。

人生のすべての経験が今の私を作っている

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